紅葉真っ盛りのこの時期に
桜が咲いています。
季節外れの桜の開花にビックリ‼️
季節ではないと言う事ですね。
季節感を大事にする日本人としては、少し違和感がありますが、
昨夜は「月食」、ご覧になりましたか?
京都市では雲が無く、はっきりくっきり見えました。
「月食」についての記事があったので紹介します。(百度より)
公元前2283年美索不达米亚的月食记录是世界最早的月食记录,其次是中国公元前1136年的月食记录。
月食现象一直推动着人类认识的发展。
古代中国与非洲民间认为月食是“天狗吞月”,必须敲锣打鼓才能赶走天狗。
在汉朝时,张衡就已经发现了月食的部分原理,他认为是地球走到月亮的前面把太阳的光挡住了。
”公元前4世纪,亚里士多德从月食时看到的地球影子是圆的,而推断地球是球形的。
公元前3世纪的古希腊天文学家阿利斯塔克(Aristarchus)和公元前2世纪的伊巴谷(Hipparchus)都提出通过月食测定太阳一地球一月球系统的相对大小。
伊巴谷还提出在相距遥远的两个地方同时观测月食,来测量地理经度。
2世纪,托勒密利用古代月食记录来研究月球运动,这种方法一直延用到今天。
在火箭和人造地球卫星出现之前,科学家一直通过观测月食来探索地球的大气结构。
訳文:
紀元前2283年にメソポタミアで記録された月食が世界で最も古い月食で、
次いで紀元前1136年に中国で月食が記録されました。
月食という現象は、常に人類理解の発展を促進してきました。
古代の中国やアフリカの人々は、月食を「天の犬が月を飲み込む」と考え、
銅鑼や太鼓を叩いて犬を追い払う必要があると考えていました。
漢の時代、張衡はすでに月食の原理の一部を発見しており、地球が月の前を移動して太陽の光を遮っていると考えていました。
紀元前4世紀、アリストテレスは、月食の際に見える地球の影が丸いことから、地球が球体であることを推論しました。
古代ギリシャの天文学者であるアリスタルコス(紀元前3世紀)とヒッパルコス(紀元前2世紀)は、
月食によって太陽・地球・月系の相対的な大きさがわかることを示しました。
また、イバルグは遠く離れた2つの場所で同時に月食を観測して、地理的な経度を測ることを提起しました。
2世紀、プトレマイオスは古代の月食の記録を用いて月の動きを研究しましたが、この方法は現在でも使われています。
ロケットや人工衛星が登場する以前は、月食を観測することで地球の大気構造を探っていました。
四千年前の月食の記録があるとは驚きです。
実際は四千年という気の遠くなるような長い時間が、過ぎ去っても同じ月食、
現代に生きる私たちが昨夜見た月と、四千年前の人が見た月も同じ。
めまぐるしく移り行く社会で取り残されないようにと、次から次へと新しい絶え間なく変化し続けるヒト、モノ、コト。
けれど、
こうして何千年も、何万年も変わらないものもあるのか、と昨夜は空を見上げました。
平安京の朱雀大路は,朱雀門から羅城門まで,南北に4キロメートルにわたって延びる,京のメインストリートでした。
幅は84メートルで、柳が植えられていたそうです。
「平安京 朱雀大路跡」と書いてある石板が、「JR丹波口駅」の改札口付近にあります。
柱の下の方で、言われないとなかなか気づきません。
1200多年前,朱雀大街是平安京的南北向主干线,宽约84米,长4000米。
1200 duōnián qián,Zhūquè Dàjiē shì Píng'ānjīng de nánběi xiàng zhǔgànxiàn,kuān yuē 84 mǐ,cháng 4000 mǐ.
朱雀,亦称“朱鸟”,形体似凤凰,古代神话中的南方之神
Zhūquè,yì chēng “zhūniǎo”,xíngtǐ sì Fènghuáng,gǔdài shénhuà zhōng de nánfāng zhī shén.
凤凰是百鸟之王,而朱雀却是天之灵兽,比凤凰更稀有尊贵。
Fènghuáng shì bǎiniǎo zhī Wáng,ér zhūquè què shì tiān zhī líng shòu,bǐ Fènghuáng gèng xīyǒu zūnguì.
訳文:
1200数年前、朱雀通りは、幅約84メートル、長さ約4,000メートルの平安京の南北のメインストリートでした。
朱雀、「朱鳥」とも呼ばれ、体は鳳凰に似ていて、古代神話では南方の神とされています。
鳳凰はすべての鳥の王であるのに対し、朱雀は天空の霊獣であり、鳳凰よりも希少で高貴な存在です。
朱雀が「朱色のスズメ」ではなくて高貴でよかったです。
「京の五条の橋の上」と言えば
源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶が出会った場所として知られていますが、
この辺りはむかし、源氏物語の主人公「光源氏」の実在モデルの有力候補といわれる
「源融(みなもとのとおる)」の大邸宅があったのはご存知ですか?
その邸宅は「河原院(かわらのいん)」というとっても広いお屋敷だったそうです。
五条通と木屋町通が交差するところを高瀬川沿いに少し南に行くと
目立って大きな木があります。
これはエノキの木で、「河原院」の森に有った木の最後の一本。
根元には「此付近 源融河原院跡」と記された石柱が立っています。
説明を書いた看板も立っています。
英語、韓国語と合わせて中国語もありました。
源融の死後は子の昇が相続して、昇は宇多上皇に献上して仙洞御所となったそうです。
そして、ここは平安貴族の邸宅ですから、優雅で華麗なイメージがしますが、
怖い話がたくさんあるそうで、その中の一つにこのような話があります。
《今昔物语集·卷27·2》:
《Jīnxī wù yǔ jí · juǎn 27 · 2》:
源融死后,宇多法皇一日夜半在河原院中遇见源融的鬼魂说:“这是臣之家宅”,
Yuán róng sǐ hòu,Yǔduō fǎ huáng yí rìyè bàn zài Héyuán yuàn zhōng yùjiàn Yuán róng de guǐhún shuō:“Zhè shì chén zhī jiāzhái”,
法皇喝道:“你的儿子已将其献于朝廷”,
fǎ huáng hèdào:“Nǐ de érzǐ yǐ jiāng qí xiàn yú cháotíng”,
至此后,源融的鬼魂再也没有出现。
zhìcǐ hòu,Yuán róng de guǐhún zàiyě méiyǒu chūxiàn.
訳文:
《今昔物语集·卷27·2》:
源融の死後、宇多上皇はある日の真夜中に河原院で源融の幽霊を見ました。幽霊が「ここは私の家です」と言ったので
上皇は「お前の息子から貰ったのだ」と一喝すると、
それ以降、源融の幽霊は二度と現れなくなりました。
源融は自分の家が気に入っていて、執着があったのでしょうか。
「食い物の恨みは怖い」と言いますが、
京都中央卸売市場内のお寿司屋さんで買ってきました。
「天然ものの新鮮なネタ、シャリは地元京都米」ということでとってもおいしそう。
今回、「京都府民限定、安心・安全な京の飲食店応援クーポン」という
5,000円で10,000円分使えるクーポン券が抽選で当たったので使ってみました。
今日は、上の写真のにぎり寿司プラス巻き寿司1本を買い、
3000円の券を使ったので、実質は1500円でお寿司が食べられたわけです。
クーポン券は中国語で‟优惠券 yōuhuìquàn”
“优惠券”起源19世纪20年代末法国,但是“优惠券”得到广泛应用和发展是在美国。
“yōuhuìquàn” qǐyuán 19 shìjì 20 niándài mò fǎguó,dànshì “yōuhuìquàn” dédào guǎngfàn yìngyòng hé fāzhǎn shì zài měiguó。
1894年,可口可乐的创始人手工书写了第一批优惠券用于促销。
1894 nián,kěkǒu kělè de chuàngshǐrén shǒugōng shūxiě le dì-yī pī yōuhuìquàn yòngyú cùxiāo.
由于效果显著,优惠券作为一种促销工具被商家及厂家逐渐认识并采用。
yóuyú xiàoguǒ xiǎnzhù,yōuhuìquàn zuòwéi yì zhǒng cùxiāo gōngjù bèi shāngjiā jí chǎngjiā zhújiàn rènshi bìng cǎiyòng.
訳文:
「クーポン券」"は1820年代後半にフランスで誕生しましたが、広く普及・発展したのはアメリカです。
1894年、コカ・コーラの創業者が販促用に初めてのクーポン券を手書きしました。
たいへん効果があったので、企業やメーカーのプロモーションツールとして徐々に認知され、採用されるようになりました。