「元宵節」
「春節」は聞いたことがあるけど、「元宵節」は知らないと言う方もいらっしゃるでしょう。
「元宵節」とは
日本語では「元宵節」や「小正月」と言われる”元宵节Yuánxiāojié”。
一体どういうこと??
まずご存じの「春節」ですが、これは旧正月のことで、中華圏では新暦の1月1日よりもこの「春節」をお正月として過ごします。
その「春節」、いつまで?
三日間?一週間?
いえいえ、もっと長くて旧暦の1月15日まで続きます。
この旧暦の1月15日、すなわち春節期間の最後の夜は、新年最初の満月の夜なのです。
「元」は「第一の、はじめの」という意味で、「宵」は「夜」を指すので、
この旧暦1月15日を「元宵節」と呼びます。
道教・仏教と結びついた“元宵节”
“元宵节”は道教の三元信仰 (1月15日の“上元”,7月15日の“中元”,10月15日の“下元”)と
灯籠を掲げて仏を祭る仏教の習俗が混交したもので,
“灯节Dēngjié”(灯籠節),“上元节Shàngyuánjié”(上元節)ともいいます。
この日,公園や建物などを灯籠・ちょうちん・リボンで飾ります。
「元宵節」呼び名の変遷
社会や時代の変化とともに、元宵節の風習や伝統もかねてより大きく変化してきましたが、中国の伝統的な民俗行事であることに変わりありません。
元宵成立初期の頃は、正月15日、正月半や月望と呼ばれていましたが、隋の時代以降は元夕や元夜と呼ばれるようになりました。
唐の初期には道教の影響を受けて、上元とも呼ばれ、唐の末期になって初めて元宵節と呼ばれることもありました。
しかし、宋の時代から灯夕とも呼ばれるようになり、清の時代には、灯節とも呼ばれるようになったのです。
中国語意訳:
随着社会和时代的变迁,元宵节的风俗习惯早已有了较大的变化,但仍是中国民间传统节日。
元宵在早期节庆形成过程之时,称正月十五、正月半或月望,隋以后称元夕或元夜。
唐初受了道教的影响,又称上元,唐末才偶称元宵。
但自宋以后也称灯夕。到了清朝,就另称灯节。
元宵節にまつわる故事
一羽の白鳥が天より人間界に舞い降りた際、一人の猟師の放った矢で傷ついてしまいました。
それを知った玉皇大帝(中国道教における事実上の最高神で、天界または宇宙の支配者であり、その下の地上・地底に住むあらゆるものの支配者)は、激怒り!
正月15日に天より兵を遣わし地上を焼き払うことにしたのです。
その計画を知った一人の仙人は民衆を救うために地上に降り、正月15日に家々で松明を燃やし提灯を灯すことで厄災を逃れることができると伝えました。
人々は仙人の言葉の通りに正月15日に松明を燃やし提灯を灯すと、その仙人は玉皇大帝に対し既に地上は焼き払ったと報告しました。
玉皇大帝が神さまたちを率いて地上を見下ろすと、地上は赤々とした炎に包まれており、既に地上を焼き払ったと思ったのです。
こうして人間界は焼き払われるのを免れました。
このことから毎年正月15日に提灯を灯す習慣ができたといわれています。
まとめ
いい仙人さんがいてよかったです。そうでないと大変!火災保険入ってへんし!その時代、保険ないちゅうの!
節分情報アラカルト2
今や節分には恵方巻きは欠かせませんね。
スーパーでも様々な巻き寿司が販売されていて、その種類にビックリします。
恵方巻とは
恵方巻は比較的太めの手巻き寿司で、かんぴょう、キュウリ、卵焼き、うなぎ、でんぶ、しいたけ、エビなど、七福神に見立てた縁起の良い具材が入っています。
中国語意訳:
惠方卷是一种相对较粗的手卷寿司,里面有腌葫芦条,黄瓜,鸡蛋卷,鳗鱼,肉松,椎茸,虾等来源吉祥地材料,代表着七福神。
食べ方
食べるときは、必ずその年の良い方角年に向かって食べるようにしましょう。
また、目を閉じて願い事を思うことで、厄除けや商売繁盛の効果があります。
吃的时候,一定要朝着当年的惠方吃,同时闭眼睛想着自己的愿望,有可以驱邪避灾和生意昌隆的效果。
恵方巻の起源
恵方巻の起源については様々な伝説があり、その信憑性は定かではありませんが、
豊臣秀吉の家臣である堀尾吉晴が、出陣の前日に海苔巻きを食べ、戦に大勝利したそうです(ただし、板海苔は江戸時代にできたので、この説はあまり根拠がありません)。
中国語意訳:
惠方卷的起源传说有很多种,其可靠性暂未明确。
丰臣秀吉的家臣堀尾吉晴在出阵前一天吃了海苔卷,结果战争取得了大胜利(不过,板海苔是在江户时代诞生的,这种说法暂时没有太多根据)。
どこの風習?
恵方巻を食べるのは大阪の風習で、
大阪で恵方巻を食べる習慣は、江戸時代末期から始まりました。
商売繁盛や厄除けを祈願して「丸かぶり寿司」とも呼ばれます。
丸かぶりには、商売繁盛や家庭円満を祈るという意味があり、
商人が販促活動のために、この習慣を守り続けてきました。
中国語意訳:
吃惠方卷是大阪的风俗,大阪吃惠方卷的习俗从江户时代结束时开始,意在祈祷生意繁荣及除去厄运,
惠方卷在日语中也叫“丸かぶり寿司”,丸かぶり就蕴含着祈求生意繁荣家庭平安之意,
而商家为了促销活动,这个习俗也就一直保留下来。
どの方角を向いて食べるか
恵方巻を食べる時の方角について、
その年の恵方(福の神のいる方角)を向いて、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、切ったりしゃべったりせずにまるごと全部食べると幸運が訪れると言われています!
中国語意訳:
至于吃惠方卷的朝向问题,
说法是:面向当年的惠方(福神所在的方向)一边闭着眼睛想自己的愿望,一边吃整个惠方卷,不能切,也不能说话,就有好运气会来呀!
まとめ
今年の恵方は南南東!
実際のところ、太い巻き寿司をしゃべらずに黙々と一本全部食べるのは少し辛いです。
節分情報アラカルト1
明日は節分です。巻きずし、お豆、鬼の面など用意されましたか?
今回は節分に関することを、日本語と中国語の対訳で紹介します。
そもそも節分はいつ?
節分(せつぶん、せちぶん)は、日本では季節を分けることを意味し、立春・立夏・立秋の前日のことで、季節の変わり目の前日です。
旧暦で一年の始まりの立春は特に重要な日とされ、江戸時代以降は特に立春の前日を指すようになりました。
中国語意訳:
节分在日本指各季节的分际,即立春、立夏、立秋、立冬的前一天,也就是各季节变化的前一天,
毎年、日が違う立春
いわゆる立春とは太陽黄経が315度となる日のことを言うので、節分は年によって異なります。2023年は2月3日です。
中国語意訳:
所谓立春只说太阳照射地球的角度呈现315度的日子,因此,每年的节分都不尽相同。在2023年时,节分是在2月3号。
悪霊ばらい行事の節分
季節の変わり目には、鬼、災い、病気など邪気が生じやすいと信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が必ずこの日に執り行われてました。
中国語意訳:
在季节交替时,易生邪气,如:鬼、灾祸、疾病,因此,必须在这一天举行驱逐恶灵的仪式。
節分の起源
「節分」は、中国古来の「追儺(ついな)」の風習が起源で、「追儺」は元々季節の変わり目の日に行われる中国の邪気祓いの儀式でした。
一年の最初の儀式は立春の前に春を迎えることであり、その後は各季節ごとに行われました。 このことは、『論語』にも記されています。
唐の時代、宮廷では長安で盛大に新年の行事「追儺式」が行われました。
今から約1300年前、日本の飛鳥時代に、中国・唐の制度が宮廷の儀式に広く取り入れられ、中国から伝わった追儺も日本の朝廷の儀式に取り入れられたのです。
中国語意訳:
节分”起源于中国古已有之的追傩习俗,“追傩”原是中国的一项驱除病魔恶鬼的仪式,于节令变换之日举行。
一年第一个仪式是立春前的迎春,然后依每个节令行事。《论语》对此也有记载。
到了唐朝,朝廷在长安举办盛大的新年活动:“追傩大典”。
约在1300年前,日本飞鸟时代,广泛吸收中国唐朝的制度,“追傩”也就被纳入日本朝廷的仪式。
歴史的変遷
平安時代の日本では、毎回の節分ごとに京都でこの儀式が行われ、国や人々の幸福を祈願しました。
その後、徐々に全国の神社仏閣で行われるようになりました。
室町時代以降、庶民の伝統的な行事と変わっていきました。
明治以降は、ほぼ唐の制度に基づいた時期や趣旨で行われるようになったのです。
中国語意訳:
到了日本平安时代,每逢节分京都中就会举行这种仪式,祈求国家和百姓的安康。
后来仪式逐渐在各地的神社、寺院中举行。室町时代以后演变成到民间的传统节日。
日本明治年后大致参照唐制举办的时间与用意。
豆まき
節分祭の主な儀式は豆まきで、これは中国で邪気払いや疫病退散のために豆を撒く習慣に由来しています。
漢の時代の『龍魚河図』には、豆をまいて五方からの疫病神を追い払ったと記されています。
また、日本語の「豆」は「マメ」であり、「魔滅」に近い発音です。
豆は炒った大豆で、まず家の中から外に向かって「鬼は外!」と叫びます。
次に、「福は内!」と叫びながら、外から内へ豆を撒いていきます。
豆をまいた後は、自分の実年齢に1を足した年齢(数え年)分の豆を食べなければなりません。
日本では、この習慣は無病息災を祈るものだと考えられています。
中国語意訳:
节分祭中主要的仪式为撒豆子,源于中国的撒豆驱邪除瘟之俗,汉朝的《龙鱼河图》就有记载撤豆子驱五方疫鬼,加上豆子日文发音为まめ(mame),音像魔灭。
豆子是烘煎过的黄豆,首先从室内向屋外,一边喊:“鬼は外!(鬼向外)”,接着,从室外向室内撒豆,边喊:“福は内!(福向内)”。
撒完豆子后,人们必须吃下自己实际年龄加一(虚岁)的豆子,日本人相信这个习俗保佑身体健康不生病。
節分情報アラカルト、続きはまた明日!
一月再见,二月你好。
あっという間に1月が終わり、今日から2月。
「如月」
二月の和風月名は「如月」。
如月は、寒さで着物を更に重ねて着ることから、「着更着(きさらぎ)」とする説が有力とされています。
中国でも二月の異称に「如月Rú yuè」が使われています。
中国最古の辞書『爾雅(じが)』の中に「二月を如となす」と記述があり、
「厳しい冬が終わり、草木や自然などの万物が動き出す季節」といった意味が込められています。
中国の「如月」は旧暦の二月の別称で、新暦では二月下旬から四月上旬ごろに当たるので、季節にずれがあります。
今はやはり寒さで着物を更に重ねて着る季節ですね。
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京都を巡る中国語ツアーレッスン「二条城」で
昨日は「京都を巡る中国語ツアーレッスン」を「二条城」で開催しました。
受講者の方には寒い中ご参加いただき本当に感謝です。
新たな発見
もう数えきれないほど訪れている二条城ですが、「ええ?こんなところにこんなのある!」と新しい発見があり面白いです。
昨日は清流園の南西隅の一画にある「加茂七石」を発見。
城内の普通の観光ルートから少し外れているからか、気付きにくい場所にあります。
「加茂七石」とは
京都市北部の賀茂川と高野川さらには両者が合流した鴨川では、古くより「加茂七石」といわれる7種ほどの銘石を産し、庭石などに用いられきたそうです。
加茂七石は、
「八瀬真黒(まぐろ)石」、「鞍馬石」、「雲ヶ畑石」(看板には畑石と表示)、「賤機糸掛石」(看板には糸掛石と表示)、「紅加茂石」、「紫貴船石」、「畚下石」の7つ。
これらの石は北山山地を母体とし、鴨川水系と高野川水系の二つがあり、約2億年前にできたそうです。 2億年前って!ビックリ!
京都の庭の石材として重用されてきた「加茂七石」ですが、
現在はどれもほとんど採掘されておらず、これらはとっても貴重な石。
「貴重」という中国語は”珍贵zhēnguì、贵重guìzhòng,宝贵bǎoguì”など
例文:
貴重な図書|珍贵的书.
貴重品を預ける|寄存贵重物品
貴重な体験|宝贵的经验.
珍贵、贵重,宝贵の違い
「珍贵」は、価格だけでなく、心情的価値、研究的価値、そして商品に値段はついているのですが、市場で実際の取引は行われていないものが対象です。
「贵重」は、物品が価格的に高価で、商品に値段がついていて、市場で実際の取引が行われているものに対して使います。
「宝贵」は、主に、人生、経験、意見、貢献、遺産、富など、抽象的なものについて用います。
ですから、この「加茂七石」は「珍贵」を使うのが適していますね。
まとめ
貴重なものに触れると心が豊かになる気がします。
「京都を巡る中国語ツアーレッスン」、これからも新たな発見を求めて、さらに充実した内容にしていきたいと思います。