土用の丑
鰻を食べてこの暑い夏を乗り切ろう!

どうして土用の丑の日に鰻を食べるようになったかについては、「江戸時代の平賀源内が発案した」という説が最もよく知られています。
平賀源内の知り合いの鰻屋は、商売がうまくいっていませんでした。
そこで、夏に売れない鰻を何とか売るため、平賀源内のところに相談に来たところ、平賀源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めました。
すると、その鰻屋は大変繁盛したのです。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したというもの。
鰻自体は江戸時代よりもっと前から食べられていて、昔の文献や木簡などの資料、出土品に基づいた研究からも、鰻は古代から食べられていたことが分かるそうです。
奈良時代の『万葉集』には、鰻が既に夏の栄養源とされていたと伝える歌などがあり、そんな前から鰻が食べられているとは驚きです。
当然、当時は中国産も台湾産もなかったでしょう。
まちがいさがし
ここで、もう、まちがえない!実践チュウゴクゴ(40)
中国語の表現でまちがいやすいところの解説をしています。
文中どこがおかしいのか、先ず考えてみてください。
正解したあなた・・・・・・・さすが!!!
分からなかったあなた・・・・・・・これをきっかけに覚えて下さいね。
*今日の文章*
鳗鱼是比较昂贵的食材,只要日本的贵族才能享用这种昂贵、奢侈的美食。
「鰻は比較的高価な食材で、日本の貴族だけがこの高価で贅沢なグルメを楽しむことができました。」と言いたいのですが・・・

さて、どこが間違っているでしょう?
よくよく、見てくださいね。まちがいは、たった一字なのです。
ただ…だけが…だ、というときは、
‟只有”
を使って、後に“才cái”を置いて呼応させることが多いですね。
まちがいの今日の文章では、‟只有”とするべきところに‟只要”が使われています。
正しくは
鳗鱼是比较昂贵的食材,只有日本的贵族才能享用这种昂贵、奢侈的美食。
Mán yú shì bǐjiào ángguì de shí cái,zhǐyǒu Rìběn de guìzú cáinéng xiǎngyòng zhè zhǒng ángguì、shēchǐ de měishí.
「鰻は比較的高価な食材で、日本の貴族だけがこの高価で贅沢なグルメを楽しむことができました。」
‟只要”は、〔必要条件を表す〕・・・さえすれば、・・・でさえあれば、という意味で、“只要……就jiù……”の形でよく使われますね。
一字違いで大違いなので気を付けましょう。
例文の続き・・・
后来鳗鱼被广泛的养殖,产量高了,普通的群众也能消费得起。
Hòulái mán yú bèi guǎngfàn de yǎngzhí,chǎnliàng gāo le,pǔtōng de qúnzhòng yě néng xiāofèi děi qǐ
その後、鰻の養殖が盛んになり、大量に生産されるようになると、一般の人にも手が届くようになりました。
「手が届く」けど、やっぱりお高いですよね。
2021年に100周年を迎えるグッチが、ブランド発祥の地イタリア・フィレンツェの姉妹都市である京都を舞台にした特別なプロジェクト「Gucci In Kyoto」を開催。
ということで見に行ってきました。
場所は六角新町を少し上がったところの旧川崎家住宅
京町家です。
靴を脱いで入った正面が竹のお庭。
右手の部屋にはグッチの椅子が二脚。
その奥には茶室もありました。
中央の畳の部屋には巨大オブジェが展示。
一瞬、大蛇か?と思いました。
竹で作った「無限」を表わす作品で、壁に映った影が幻想的で魅力だそうです。
その横には、1960年代や70年代に作られたバッグが数点ありました。
デザインは全く古さを感じず、今使っても全然時代遅れではないなあ、日本の着物も母親が若い時に着ていた着物を今着てもおかしくないのと同じだなと思いました。


カラフルなバックは、販売もしているバッグです。
〔グッチ ダイアナ〕ミニ トートバッグ、中国語で、‟Gucci Diana竹节迷你托特包 zhújié mínǐ tuō tè bāo”
竹节は、竹のふしのことです。取っ手が竹製だからですね。
「どうぞ、手に取ってご覧ください」と係りの人から言われましたが、オソロシイ。
うっかり落として傷でもつけたら弁償ですやん、しかも値札がついてない。
お寿司屋さんではあるまいし、「時価」なんてことがある?いろいろ考えが頭を巡ります。
不敢拿起来看!! そんなんよう手にとって見んわ。
ということで、昨日は目の保養をしました。昨天饱了眼福。Zuótiān bǎo le yǎnfú.

東京五輪、日本の選手、頑張ってますね〜。
昨日7月26日現在、メダル獲得数は、金が8、銀が2、 銅が3。
金メダルは中国語で、金牌[jīnpái]
銀メダルは、银牌[yínpái]
銅メダルは、铜牌[tóngpái]
メダルを数える量詞は、枚[méi]や 块[kuài]
獲得は、获得[huòdé]ですね。
「がんばれ!」という応援の掛け声はおなじみの、加油[jiāyóu]
昨夜もテレビ放送では、
男子バレーボール、男子体操団体、男子バスケットボールそして卓球混合ダブルスなどがあり、
あっちも見たいこっちも見たいで、チャンネルをあちこち変えていました。
詳しいルールやフォーメーション戦略等がわかればもっと面白いかもしれませんが、
ただ単に、点が入った、残念だった、惜しい、やったー入ったという観戦でも、ドキドキして楽しいものです。
勝っていようと負けていようと、がんばっている選手を見ると、ただただ、すごいなぁと感心します。
夕食は「カレー」
昨日は4連休の最終日でした。
連休中、ご馳走をたくさん食べましたか?
昨日は、玉ねぎ、ジャガイモ、三度豆、トマト、みょうがなどの採れたて新鮮野菜をいただいたので、夕食は「カレー」にしました。

「カレー」の語源
‟咖喱”一词来源于坦米尔语,是“许多的香料加在一起煮”的意思,咖喱的故乡在印度。
「カレー」という言葉はタミル語に由来し、「香辛料をたくさん入れて煮る」という意味で、カレーのふるさとはインド。
「カレー」はいつ日本に来た?
江户末期,西方各国要求日本开埠通商,日本被迫打开国门,1859年横滨港开港后咖喱开始传入日本,1873年,《西洋料理指南》、《西洋料理通》等日本烹饪书籍中出现了有关咖喱粉和咖喱饭制作方法的介绍。
江戸末期、日本は西洋諸国に開港通商を要求され、やむを得ず国の門戸を開きました。
1859年に横浜港が開港し、カレーが日本に持ち込まれ、1873年には『西洋料理ガイド』『西洋料理通』などの日本料理書籍にカレー粉とカレーライスの作り方が紹介されました。
「カレー」はどのように普及した?
1876年,北海道札幌农学校为改善学生伙食,将咖喱饭作为学生餐的一部分,咖喱饭首先在北海道地区得到普及。
1876年、北海道札幌農学校が学生の食の改善のために、カレーライスを給食の一部としました。カレーライスはまず北海道で普及しました。
1874年,日本陆军学校规定每周六固定的午餐就是咖喱饭,1908年日本海军的饮食中也引入了咖喱饭。
1874年、陸軍士官学校では毎週土曜日の決まった昼食を「カレーライス」と定め、1908年には日本海軍の食事にもカレーライスが導入されました。
随着咖喱饭最日本军中普及,掌握咖喱饭制作方法的普通士兵越来越多,这些士兵又将这些经验带回家里,于是咖喱饭在日本全境得以普及。
カレーライスが日本軍の間で普及し、カレーライスの作り方を身につけた一般兵士が増え、兵士たちはその経験を家に持ち帰り、カレーライスは日本全域で普及しました。
直到现在,日本自卫队每周日的菜谱中仍然有咖喱饭。
今でも自衛隊の日曜日のメニューにはカレーライスがあります。
大人から子供まで、みんなが好きな「カレー」、こんな「物語」があったのですね。
祇園祭 後祭
昨日7月24日、祇園祭の後祭(あとまつり)の山鉾巡行に代わって、各山鉾保存会の代表者が歩いて巡行する「拝礼行列」が行われました。
後祭りの山鉾も建っていて、見に行きました。
鯉山

先ずは「鯉山」
立て看板によりますと、
山车上的巨大鲤鱼表现了勇跳鲤鱼的雄姿。Shān chēshàng de jùdà lǐyú biǎoxiàn le Yǒng tiào lǐyú de xióngzī.
传说鲤鱼只要跃过这个龙门瀑布能变成龙。Chuánshuō lǐyú zhǐyào yuè guò zhège Lóngmén pùbù néng biànchéng lóng.
山の上に大きな鯉が跳躍しており、龍門の滝を上る鯉の雄姿を表している。
滝を上りきると龍になると言う中国の伝説、「登竜門」の語源となった。
「登竜門」の意味
「登竜門」はご存知の通り、「有力者の引き立てで声望をあげる」、また、「科挙の会試に合格する」というたとえです。
“登龙门”比喻得有力者的援引而声誉卓著, 也指科举会试得中。“Dēng lóngmén” bǐyù děi yǒulì zhě de yuányǐn ér shēngyù zhuózhù, yě zhǐ kējǔ huìshì dé zhōng.
上の文章の解説:
援引[yuányǐn] 、ここでは、(自分の関係者を)推薦する、起用する、という意味。
卓著[zhuózhù] 、きわめて顕著である、際立っている、という意味。
会试[huìshì] 、「会試」という科挙の第2段階の試験、明・清時代に、各省の“举人jǔrén”(“乡试xiāngshì”の合格者)が3年ごとに首都で受けた試験のこと。
得中[dézhòng]、官吏登用試験(科挙)に合格すること。
「登竜門」の語源
鯉山の立て看板の説明にあったように、この言葉の語源は、
春に、黄河下流の鯉は竜門(陝西省韓城市と山西省が接する禹門口)まで来るのですが、その大半が水勢が強くて竜門を登っていけません。しかし、それを登りきった鯉は竜になるという伝説から来ています。
传说春季黄河下游的鲤鱼,游到龙门(今陕西韩城市跟山西交界的禹门口),多数因水势险而上不去,上去的就化为龙。
「北観音山」

もう 少し西へ行くと、「北観音山」(きたかんのんやま)が建っています。
北観音山は山の上には、楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)を祀っています。
楊柳観音とは三十三観音のなかの一つの観音さまで、右手に柳の枝を持っていることから楊柳観音と言われています。
この観音様は病苦から私たちを救済してくださる観音様。
「南観音山」

その南側に「南観音山」があります。
北観音山と同じく楊柳観音(ようりゅうかんのん)と、脇侍の善財童子がお祀りされています。
山鉾の外観を見るだけでも楽しいですが、その由来や装飾品の背景などを知ると、もっと楽しく面白いですね。