京都 祇園祭 宵山
このような、山鉾は中国語で、‟彩车cǎi chē”と呼ばれます。
‟彩车cǎi chē”の中国語での説明:
用彩纸、彩绸、花卉等装饰的车,用于喜庆活动。
訳文:
祇園祭の山鉾も、まさしく「彩られた車」ですね。
そして、
祇園祭自体の説明は:
京都祇园祭是日本规模最大、最著名的祭典,文化氛围浓厚,颇具代表性。
整个祇园祭长达一个月,在7月17日(前祭)和7月24日(后祭)则进行大型巡游。
最早可追溯至公元869年的祇园祭也在2009年被世界教科文组织列入非物质文化遗产名录。
訳文:
京都の祇園祭は日本で最大規模の、最も有名な祭りで、文化的雰囲気が色濃く、代表的な祭りです。
祇園祭は1ヵ月間続き、7月17日(前祭)と7月24日(後祭)には大規模な巡行が行われる。
西暦869年にさかのぼる祇園祭も2009年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。
無形文化遺産は、中国語で、‟非物质文化遗产 fēi wùzhì wénhuà yíchǎn” と、
「無形」が、「非物質」になるのは、おもしろいですね。
今年も山鉾巡行は中止となり残念ですが、
来年こそはマスクなしで、浴衣を着て、見物に出かけたいと思います。
世外桃源 shì wài táo yuán
桃の美味しい季節になりました。
冷蔵庫で少し冷やして
皮を剥くときに、つるりと剥けると
もう最高。
柔らかい果肉と、甘い果汁にうっとり
生きていてよかった、と思うほど。
まさに、世外桃源に来たよう・・・
世外桃源は四字熟語で、ユートピア、桃源郷、という意味です。
ユートピアに行ったことはないけれどね、
それほどおいしいというたとえです。
桃源郷の故事
中国、晋の時代に、ある漁師が舟で川をさかのぼっていくと、
桃の花が咲いて、とてもいい香りのする林に迷い込んでしまいました。
林が尽きると山に出て、山のふもとにひとつの洞窟がありました。
どうやらこの川の水は、この洞窟から流れ出ているようでした。
この水源の洞窟に入って奥に進んでみると、はじめは暗くて狭かったのが、進むにつれて明るく広くなってきました。
そして洞窟を抜け出ると、そこには秦(しん)の戦乱を避けてこの地に隠れ住んだ人々が、
数百年にわたって世の中の外に事も知らず、この平和な別天地での生活を営んでいたのです。
漁師は家に帰って、皆にこのことを話しました。
それを聞いた人がその場所へ行ってみようとしましたが、
全く見つからず、たどり着くことができませんでした。
これは、陶淵明(とうえんめい)が書いた『桃花源記』に載っているおはなしです。
もしかしたら今でも、その桃源郷に住んでいる人がいるかもしれませんよ〜。
ワクチン接種、いつになることやら
京都市では先月末に、接種県が届き、登録はしたものの、それからは無しのつぶてです。
接種できるのが一体いつになるのか分かりません。
医療機関へのワクチン供給の抑制や集団接種会場の閉鎖といった事態が生じていることに、危機感を持つ方もいらっしゃいますね。
こうした政府の対応について、不満の声が上がっていることは、周知のとおりです。
しかしながら、批評家のコメントを聞くと、政府を擁護する意見もあったり、
政府は○○の批評を気にしていて、それを参考にして方針を決めている、といった記事も見受けられ、様々です。
この批評ですが、日本語の意味は、辞書によると、「よい点・悪い点などを指摘して、価値を決めること」と書いてあります。
中国語でも同じでしょうか?
この単語をそのまま、中国語の漢字に当てはめると、‟批评 pīpíng”になりますが、ニュアンスが違うので気を付けましょう。
‟批评 pīpíng”は次のような意味があります。
(1)批判する;批評する
例文:
做自我批评/自己批判をする.
接受批评/批判を受け入れる.
文艺wényì批评/文芸批評.
(2)(相手の欠点や誤りを指摘して)意見をする,しかる;叱責.小言.
例文:
批评他对顾客的傲慢态度/彼の客に対する傲慢な態度をしかる.
大家批评他不爱劳动/みんなは彼が仕事をしたがらないのを意見する.
他经常迟到,受到科长的批评/彼はいつも遅刻するので課長に叱責された.
【注意】このように、日本語の「批評」とはニュアンスが異なり,非難する意味合いが強いことが例文からもわかりますね。
政府のワクチン接種に関する今の対応は”批评”されるに値すると言えるかもしれません。
「ワクチン、打つの、まだかなあ」
もう、まちがえない!実践チュウゴクゴ(39)
中国語の表現でまちがいやすいところの解説をしています。
文中どこがおかしいのか、先ず考えてみてください。
正解したあなた・・・・・・・さすが!!!
分からなかったあなた・・・・・・・これをきっかけに覚えて下さいね。
*今日の文章*
相手が忙しくて、応対してもらえないかもしれない、という時にいう一言
等你没有时间,我再来。
さて、どこが間違っているでしょう?
まず、解説します。
‟等”は、「待つ」というのはご存知でしょう。
请等一下/少々お待ちください.など、よく使いますよね。
この‟等”、ここでは、「…してから.…に及んで.…になって」、という意味で、
後に“再、才、就”を伴うことが多いです。
例文:
等这件事办完再去吧/この用事をかたづけてから行きましょう.
等他回来再说/あの人が帰ってからにしよう.
今日の文章の‟等你没有时间,我再来。”だと、「あなたに時間が無いときに、また来ます」という意味になってしまいます。
ええ?あなたが時間がない時に、私がまた来ても、じゃまかもしれませんし、論理的におかしいです。
これは逆で、「あなたの時間があるとき、また来ます」が普通ですね。
正しくは、
‟等你有时间,我再来。Děng nǐ yǒu shíjiān,wǒ zài lái.”あなたに時間があるとき、また来ます。
もしくは、
‟等你没事儿,我再来。Děng nǐ méi shìr,wǒ zài lái.”あなたに暇があるとき、また来ます。
もちろん、誰でもとっさの言い間違えはあったり、何かを意図してわざと逆のことを言ったりすることもあります。
でも、そういう状況ではない時は、意味が通ってロジカルな文を使いたいですね。
寺町京極と新京極
寺町京極通りと新京極通りは、三条から四条にかけて平行しているアーケード街です。
コロナ前は、京都のお土産をここで買う修学旅行生で、とても賑わっていました。
新京極の由来
寺町通りは昔は、東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)と言いました。
新京極は、明治5年(1872年)に東京極大路の側に新しくできたから新京極と言うネーミングになったそうです。
なぜここに新しい京極通りが作られたのでしょうか?
新京極通りは、開通して4年後位から次第に賑わいを見せるようになりました。
芝居、寄席、見世物小屋などが立ち並んで、芸能興行の場として人気を呈し、
人が増えるにつれて飲食店も増えてきたそうです。
私も、子供の頃は賑やかな新京極に連れて行ってもらい、あちこちきょろきょろしながら、人込みをすり抜け、いつも行くレストランに行って、「お子様ランチ」を食べるのがとっても楽しみでした。
‟热闹”と‟热烈”の違いは?
賑やかなことを表す中国語に、‟热闹rènao”がありますね。
同じように雰囲気が活発で、さびれていないことを表すことばに‟热烈rèliè” もあります。
この二つ、どう違うのでしょうか?
‟热闹rènao”
‟热闹rènao”は、光景やありさまが賑やかで活発であることに重きが置かれ、‟热烈rèliè” ほど強いニュアンスはありません。
市場、店、道、場所、人の集まり、婚礼などを形容します。
‟热热闹闹”という重ね型が使えます。
例文:
热闹的市场/賑やかな市場.
大家有说有笑的十分热闹/みんなはしゃべったり笑ったりしてとても賑やかだった.
整个会场热闹得像开了锅/会場は沸き立つような賑わいだ.
热热闹闹地欢度生日/賑やかに誕生日を過ごす.
几个年轻人凑在一起打算热闹一下/何人かの若者が集まって楽しく遊ぼうとしている.
‟热烈rèliè”
‟热烈rèliè” は、気持ちが高ぶる、興奮する、雰囲気がとても盛り上がっている、熱気があるということに重きが置かれます。
感情、心情、愛情、スローガン、拍手の音などを形容します。
‟热热烈烈”という重ね型は使いませんね。
例文:
热烈的掌声zhǎngshēng/あらしのような拍手.
会上大家发言很热烈/会議でのみなの発言はたいへん活発だった.
热烈拥护yōnghù/熱烈な支持.
我们热烈欢迎您的访问/私たちはあなたの訪問を熱烈に歓迎いたします.
「寺町京極と新京極」、感染拡大を抑えつつ、かつての賑やかさを取り戻す日が早く来ることを願っています。
新京極通りの「お子様ランチ」を食べたお店、まだ有るかな?ちょっと心配。。。。
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