地方の足はどうなるか
JR各社では沿線人口の減少などで路線維持が困難なローカル線の区間ごとの収支を公表する動きが相次いでいます。
JR東日本が先日28日に初めて公表した利用者の少ない在来線の収支では、
「100円の収入を得るために必要な費用は2万2149円。」
それも在来線の3分の1が赤字。
そもそも人が少ないところに鉄道を敷いたのはなぜ?という素朴な疑問が浮かびます。
ローカル線は「政治家らが利益誘導で地元に鉄道を建設する『我田引鉄』を進め、採算の合わない路線も運行した」というニュース記事を見て、そういう背景があったのかと納得。
JRも会社なので、利益の上がらない路線の運行は難しいことはわかります。
赤字路線を第三セクター化するのも限界があるでしょう。
35年前に分割民営化せずに国鉄のままだったならよかったのでしょうか?
今更言うても遅いけど。

あかじ【赤字】 、中国語では
赤字chìzì,亏损kuīsǔn,入不敷出rùbùfūchū《成語》.
例文:
商売は赤字だ|买卖亏损。
今月も赤字になる|这个月也亏损。
10億円以上の赤字が出る|出现十亿日元以上的赤字。
赤字を埋める|弥补míbǔ赤字。
いかにして経営の赤字をなくすか?何か良い方法がありますか?|如何消除经营上的赤字?有什么好办法吗?
近くの公園では「サルスベリ」の花が、目を引きます。

木の皮がツルツルで、木登りが得意なサルも滑るので、この名が付いたそうです。

「サルも木から落ちる」ということわざがありますが、その意味は
「木登りが上手なサルでも、時には木から落ちることがある。 どんな名人でも、失敗することがあることの例え。」
このサルスベリの木からすべって落ちたサルは、「これだけツルツルなんやから滑るのしかたないやん、だいたい木の名前が『サルスベリ』なんやもん。すべって落ちても、失敗ではないからね~~」といって言い訳するのかもしれません。
サルスベリは、中国語で
サルスベリは、中国語で‟紫薇zǐwēi”や‟百日红bǎirìhóng”などと呼ばれます。
‟百日红bǎirìhóng”は日本語でも「百日紅」と書きますね。
サルスベリは、開花期間が長く、見た目がとてもきれいなことから、多くの人に百日紅と呼ばれています。
紫薇被很多人都称为百日红,就是因为它有着漫长的花期,看起来非常的漂亮。
ちなみに中国語ではサルスベリのことを‟猿滑"というのか、調べてみましたが見当たりませんでした。
お中元で焼売セットをいただきました。



冷凍で送られてきて、食べるときはレンジでチンするだけ。
とっても簡単。それでとてもおいしい。
しゅうまいは中国で古くからある食品です。
中国は領土が広いので北の方と南の方とでは食文化も異なり、
しゅうまいの呼び方も違って、
広東、浙江、江蘇一帯では‟烧卖”
北京や内モンゴルなどでは‟烧麦”や‟稍麦”と呼ばれます。
中身のあんも違って
北の方では羊の肉や牛肉のあんが多く、
南の方では、いろいろ豊富で、もち米のあんや豚肉、エビ、カニなどのあん、
それに魚や肉類を使わない精進料理のあんもあるそうです。
さらには”半素半荤"という「半分は精進料理、半分は肉さかな入り」というのがあって、
「これってどういうこと???半分でも肉さかなが入っていたら精進料理ではないやんな」と思いましたが、実際はどうなのでしょうね。
京都市内でも右京区などでは住宅街に田畑が点在しています。

つい先ごろ、田植えの時はヨロヨロとした苗だったのに、あっという間に勢いよく伸びて、こんなに大きくなった若い稲の葉が、
青々と一面に緑に茂り、そよ風を受けて文字通りに波を描く、「青田波」の光景に一服の涼を感じます。
またあっという間に黄金色に染まり稲がなるのでしょう。その光景も見るのもまた楽しみです。
「青田」は、中国語で‟青苗qīngmiáo”
「青々としている田んぼ」は、中国語で‟绿油油的稻田”
油という表現がおもしろいですね。🤣
~油油は、接尾語で、名詞や形容詞のあとについて「つやつやした」「一面に」などの意味の状態形容詞をつくります。
確かに「油」を塗ると「つやつや」しますよね。
京都を題材に中国語を学ぶ【良知学舎】では、オンラインレッスンも開講中
「開雲見日」
松尾大社にあった「今月のことば」は「開雲見日」
開雲見日
「かいうんけんじつ 」と読みます。
意味は、日の光を遮る雲が吹き去って、再び明るくなる様子。
転じて、気がかりな問題や不安がなくなって希望が持てるようになること。
出典は中国の 『後漢書』袁紹の"旷若开云见日,何喜如之。"という言葉から。
"旷若开云见日,何喜如之。"は
‟心胸的旷达就好似拨开云雾见到阳光,什么喜悦能比得上这样呢。”と解釈し
日本語に訳すと
「心の広がりは雲を開いて太陽を拝むようなもので、これに勝る喜びはない。」という意味になります。
袁 紹(えん しょう)という人は、中国後漢末期の武将・政治家です。
当時は後漢皇帝は名目だけの存在で、各地で群雄が割拠する戦乱の世でした。
次第に群雄たちが淘汰される中で勝ち残ってきたのが、あの「曹操」と、この「袁紹」です。
袁紹は幾多の困難を乗り越えるたびにこのように思ってきたのでしょうか。
コロナウイルス再拡大でまた日の光を遮る雲が覆いかぶさってきたようですが、
早くこの不安な雲が吹き去って、再び明るくなるのはみんなの願いですね。