授業で、“兑换 duìhuàn”という単語が出てきました。
現金に換える、両替する、という意味ですね。
日本語の漢字は、「兌換」。
「兌換」から「兌換券」を思い出しました。
「兌換券」って、もうご存じない方もいらっしゃるでしょう。
「兌換券(だ かん けん)」
外汇wàihuì兑换券/外貨兌換券.
1979年から90年まで中国で外国人専用に流通された補助紙幣です。
私がかつて仕事をしていた所は、西安の郊外で、
有る時、街の市場でお酒を買おうと、店の年配女性この兌換券を出すと、
「こんなの見たことがない、これはお金ではない」と受け付けてもらえず、買い物が出来なかった思い出があります。
えっ、今もまだ、確か記念として、残していたはず・・・・
引き出しをゴソゴソ。
あった、あった!!!
いつか、プレミア付いたらいいのにな〜
いえいえ、やはり置いておきます。
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“兑换 duìhuàn”を使った例文を挙げます。
日元兑换人民币。 / 円を人民元に両替する
把日元兑换成人民币。 / 円を人民元に替える
下の方の文は把構文。
把構文は、本来は動詞の後ろに置かれる目的語を “把”の目的語として、動詞の前に置く構文。
その目的語は、
はっきりそれとわかる特定のもの
すでに存在しているもの。
あいまいで、ポヤ〜としている目的語はダメですね。
さらに、処置の意志が加わる時に使うのでしたね。
加えられた行為や処置の結果が現れる、例えば
•位置が移動
•状態が変わったなど
何らかの変化や結果がある、現れる時に使うのでした。
ですから把構文の時は、動詞がただの“兑换”ではいけません。
兑换成というふうに、補語を付けなければなりません。
“把” 構文、
ただの「〜を」ではないので注意しましょう。京都西山にある勝持寺は天台宗のお寺です。
この時期の紅葉、春の桜もみごとで、「花の寺」と呼ばれています。
西暦679年天武天皇のみことのりによって、役行者が創建したのが始まりです。
その後西暦791年に伝教大師が桓武天皇の勅を受けて再建されました。
元は49の塔頭がひしめく大寺院でしたが、応仁の乱で仁王門以外の建物が全て焼けてしまい、今ある建物はその後に再建されたもので、江戸時代の第5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院によるものもあるそうです。
境内には植えられたもみじが100本、自生しているのは数えきれないほどあって、真っ赤に染まった木、まだ緑が残っていて色が交差する木、それぞれの美しさに目を奪われ、また地面にぎっしりの落ち葉は、まさに赤い絨毯のようで踏むのがためらわれるほどでした。
阿弥陀堂のそばに瑠璃光殿があります。
靴を脱いで引き戸を開けると、仏像群がすぐ目の前に!
あまりの近さに圧倒されました。
本尊の薬師如来像は鎌倉時代、そしてその胎内仏は平安前期のもので、日光月光菩薩、12神将像、金剛力士像があり、さらには西行法師像もありました。
これだけ一カ所に集まって安置されているのを見て、東寺の立体曼荼羅を彷彿させました。
仏様たちが本当に圧巻で、普通ならここは別料金で参拝するようなところだなと思いました。
外に出まして右側の階段を上ると不動堂です。
御堂の中にお不動様が祀ってあるかと思えばそうではありません。
御堂の横からぐるっと後ろに回ると、岩の中に不動明王が安置されています。
え〜外なん???
このお不動様、弘法大師が刻まれた像で、目の病気など諸病平癒にご利益があると言うことです。
階段を降りてくると、有名な西行お手植えの西行桜です。
西行法師は平安時代の歌人。
もともとは武士で鳥羽上皇に仕えていて佐藤義清と言いました。イケメンで武術にも長けていたとか。
23歳の時にこの勝持寺で出家しました。いろいろあったらしいです。
いろいろあるのは昔も今も同じ・・・・・
境内には、西行がこの石に向かって髪を下ろしたという鏡石、顔を映したという瀬和井の泉があります。
西行法師の有名な歌というと・・・
花見んと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜の咎にはありける
(桜を見ようと大勢の人が来る事は、ひとりで静かにいたい自分にとって惜しむべき桜の罪であるよ)
桜の時期、昔からたくさんの人がここを訪れたのですね。
そして西行は普段はここで静かに心安らぐ時を過ごしていたということでしょうか。
また、歌については、戦国時代に三日間で千句読む「大原野千句」がここで開かれたそうで、そんなにたくさんよめるほど、ここには歌になる題材が豊富だったのでしょうね。
格別の美しさの紅葉の中、
歴史を肌で感じるひとときでした。
京都の西山、観光地で人があふれかえっている所ではなく、いわば知る人ぞ知る名所が点在しています。
善峯寺もその一つ。
結構高いところにあるので、市内が見渡せます。
大パノラマが眼下に広がり、この絶景に雄大な気持ちになります。
このような山の中腹にお寺を建てるのたいへん・・・と思っていると、いのしし伝説があるとのこと。
ここはもともと岩が多い山の上。工事に苦労していたところ、猪の大群が一夜にして岩山を砕き、そして地をならして平地となしたそうです。
確かに、イノシシがいそうです。
この日は、イノシシではなく、野生のサルがいました。
善峯寺は平安中期、源算上人により建てられたお寺で、
境内には桂昌院ゆかりの建物が数多くあります。
桂昌院は6歳までここに住んでいたそうです。
桂昌院は、元はお玉という名前で、「玉の輿」の語源になったとも言われています。
先日、山科区の毘沙門堂を訪ねました。
ずっと行きたかった所です。
さすがは紅葉を愛でる名所で、
落ち着いた雰囲気の中に気品が漂い、心落ち着くひと時でした。
門跡とは、
门迹是皇族、贵族担任住持的特定寺院,或是其住持。
寺格之一。本来是日本佛教的开祖的正式后继者“门叶门流”之意(或称作门主)。
镰仓时代以后演变成用来指位阶高的寺院,即所谓寺格,这些寺院被称作门迹寺院。
門跡(もんせき、もんぜき)は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。
寺格の一つ。元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで「門葉門流」の意であった(この場合は門主とも)。
鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。
(Wikipediaによる)
平安時代宇多天皇が僧となって京都御室の仁和寺に住み,この寺を御門跡と呼ぶようになった。それ以来法親王の住む寺院を門跡と称し,最高の寺格を示す称号となった。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典による)
門主は叡南覚範様。
ずいぶん前にお会いしたことがありますが、お偉いのにとっても気さくで優しい方です。
また、訪れたい所のひとつです。
11月15日に京都御陵で、紅葉の中、イベントを行いました。
当日は青空が広がり、暖かく、絶好の屋外活動日和。
JR山科駅に集合し、もみじの名所「毘沙門堂」へ。
圧倒される「赤」に息をのみました。
その後は日本遺産でもある琵琶湖疏水へ。
遊歩道沿いの紅葉もまた見事!
そして、みささぎの森に到着後、軽食です。
メニューはオーナーお手製のこの畑で採れた野菜を使っての具たくさんスープと、菊芋やハーブの入ったお好み焼き。
スープの器は、ここの竹を切って作った竹筒容器。お持ち帰りできますよ。
さて、いよいよお芋掘り!なかなか力が要りました。
その他にも、みささぎの森で、シイタケや青菜などを収穫しました。
お芋が焼ける時間を利用して、中国語でビンゴゲーム!
今日、見たものを中国語で言って、書いて、聞いて、
これらの単語しっかり覚えました。
一日、楽しんでいただけたようで、我也非常開心!!!